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2014
05.31

ヅラがズレるから。とは言えない。

前回の記事で、乳がん治療が始まる前より体重が増加していること、顔がまぁるくなってきちゃってること、をグチり 書きました。

もともと体を動かすのは嫌いではなかったのです。
走るのは好きじゃないけど、歩くのは大好き。
就職試験面接では、何度か「趣味」の欄に書いたさんぽについて面接官が軽く喰いついてゆるい雑談をしたりしました。

ところが、術前治療を始めて、たいした副作用もないのに、変にさぼり癖 安静にすごす習慣が身について、なんだか家事とかいろんな仕事をこなすスピードが遅くなり、さんぽなんて悠長にしてたら申し訳ない感じになり…

全然歩いてない・・・

さっきも書きましたが、カラダを動かすのは嫌いではないので。
病気がわかる前はヨガとかフィットネスをする稽古に行ったりしていました。
病気が見つかってから、「学校の役員の仕事があるので休会します」としました。

先日そこで一緒に稽古していた人と会う機会がありまして。
「そろそろ稽古に戻ってくる?」と聞かれました。
学校役員の仕事も終わったし、次女きぃちゃんも小学校入学したし、フィットネスヨガに戻って来られるでしょ?という話です。

わたし:「うんうん、、、あー、そうだね~、わたし行きたいな~と思ってるんだけど。。。なんか、まだいろいろちょっとバタバタしてて。。。」
なんだか無駄にモジモジして、思わず前髪をつまんでしまったわたし。

「いや、ヨガとかフィットネスとか、ヅラじゃ普通に無理だから。
と、いう気持ちが前髪をつまませたんだろうな~
いや、でも、それは言えないゎ(^_^;)

自分がヅラ被ってるってこと、やっぱり普通には言えないです。
もちろん病気のことも。

でもね。なんでこんなにモヤモヤするんだろと考えます。

隠す必要ないじゃん。という気持ちもあるのです。

この気持ちが、どこかで「ノーマライゼーション」ということをずっと考えて生きてきたわたしの感覚なのかな、と思う。

「がん」という病気のことを話すのって、本当に難しいです。


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2014
05.30

ホルモン治療5ヶ月超。丸くなっちゃった。

Category: ホルモン治療
なんだかんだって、過ごしているうちにそういえばホルモン治療始めてから5ヶ月が超過しました。

放射線治療を終えて、ハーセプチンを投与しながらも
きわめて元気なわたしです。

「ホルモン治療は太る」
これはずっと気になっていたキーワードでした。

わたくし、術前抗がん剤治療を始めてから、前半は体重に変化はなかったのですが。
むしろ抗がん剤の影響で体重が減少するのでは?と思っていたので、拍子抜け
それどころか後半のドセタキセル+ハーセプチンが始まってから、浮腫み出現と同時に体重が増えちゃったんです

どうする?どうなる?
と、思いながらも、抗がん剤のてんやわんやな副作用とか、子どもたちの学校や幼稚園のあれやこれやでいっぱいいっぱいだったワタクシ。
気づけば、浮腫みが減ると同時に体重も少しづつ減りました。

がっ!!

元の体重に戻る前にホルモン治療が始まり、どうにもこうにもうまく減量できぬまま今日まで来てしまった。

正直、体重よりも、顔が丸くなったように見えるのが気になるのです。
なんでだろう?風船みたいなこのワタシ。
ホルモン剤って、肌のハリとか、しわとか、いろいろ影響がありますか??????

ああ~、ホルモン治療が「太る」
というのは、体重以外のパーツの変化も見た目に影響するのかも・・・と思う今日この頃です。
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2014
05.21

続く日常の中で。

Category: 日記
久しぶりの更新になってしまいました。

父が亡くなって20日が過ぎました。
だからと言って、毎日泣き暮らして、意気消沈の日々を過ごしていたために更新が出来なかった、というのではないのです。

父が亡くなった後、葬儀が終わって数日経つと、わたし達には日常が戻ってきました。
わたしは、5月11日にムスメ達から母の日のプレゼントをもらったり。
20140517091219a4a.jpg
カーネーションの花束は長女はぁちゃんから。アロマスティックは次女きぃちゃんから。
去年の母の日は術前治療まっただ中でしたね~

我が家のウサギのウサギらしからぬだら~っとしたユルユルな姿に癒されたり。
20140517091220ded.jpg
ウサギっていつも丸まってるわけではないのです

ブロ友のhikari。ちゃんが企画してくれたオフ会に誘ってもらったり。
20140517091217933.jpg
お馴染みのお顔も、初めましてのお仲間もいて、とても豊かな時間を過ごせました。

hikari。ちゃん、オフ会とりまとめ、ありがとう。父のこと、気配りをいただいて、本当に有難かったです。
とても強く支えられているのを実感しました。オフ会の最中にも関わらず、ちょっと目頭が熱くなったよ。
他の参加者にも、父の逝去を知っている方がいて、心遣いを感じました。
こうしてブログを通して本当にわたしはたくさん支えをもらっています。

5月15日には父が亡くなった日に受けられなかったハーセプチンを2週間遅れで受けて、患者会にも行って来ました。
腫瘍内科の先生が、術前に見られた肝臓のしこりについての所見を聞かせてくれました。
「肝臓のしこりは当初とほとんど変わりません。なので、ガンの転移ではなく、腫瘤とか、血栓なのかも。しばらく忘れていいものだと思いますよ。」とのことでした。良かった。

昨日はダンナの誕生日でした。
誕生日の前日がダンナの休みだったので、去年の誕生日に行ったお店でディナーしたり。
2014052115510583f.jpg

昨日のダンナ誕生日当日の5月20日は、長女はぁちゃんが修学旅行へ出発。
ばたっばたと用意して出かけていきまして。

こうして日常を過ごしているのです。

でも、この日常の中で、ふと、父の痕跡を見つけたり、この何気ない日常に、もう父がいないのだと改めて感じて、胸が苦しくなることもあります。
それでも地球は回り、日々は過ぎるのです。
誰かが死んでも、時間は流れるのです。
どんなに悲しみに暮れていても、陽はのぼり、沈んで、いつもと同じ毎日は過ぎていくのです。
これが歴史になるのだとしみじみ思います。

うまく言えませんが。

逝ってしまった人も、見送ったわたし達も、一緒に同じ時を過ごした。
父は、わたし達にたくさんのもの、たくさんのことを残してくれました。
残されたわたし達は、それを大切にしながら、これから先の日常を過ごしていく。
こうして、毎日が重なっていきます。
止まらないこの時間の中で、明るく強く優しく生きて生きていたい。

そうしていつか自分にもその日はやって来る。
精一杯、生きてやろう。


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2014
05.10

感謝。

Category: 日記
父が亡くなって10日。

5月4日に納棺。
5月5日通夜。
5月6日告別式と行われました。

たくさんの人が集まっているあいだは、気が張っていましたが、少しづつ落ち着いてくると、改めて父の死の実感がじわじわとわいてきます。

父の胃がんの転移がわかってから、最後にGWあたり、わたし達家族と父、母で旅行に行こうかと考えたりしていましたが、思ったより悪化が早くて叶いませんでした。
今年の秋に予定している次女きぃちゃんの七五三を見てほしかった、とか
もっと欲を言えば来年の春の長女はぁちゃんの中学入学を見てほしかった、もっと欲を言えば、ムスメ達の成人式を・・・と欲を言えばキリがありません。

でも、医師に言われていた余命より早く逝ってしまったので、数ヶ月間ではありましたが、父自身もわたし達も心の準備や整理をする時間を持つことが出来ました。
亡くなる数時間前に、家族みんなでお見舞いに行って父と最後に話すことも出来ました。
GWの谷間の平日だったので、たまたまダンナも休みでした。

逝く者も、見送る者も、まったく悔いがないということはありませんが、
事故や事件で突然命を落とす人のことを思えば、後悔は少ないと感じます。

生きていると、見送らなければならない時もあります。

それは仕方のないことです。

でも、わたしの命は、父の命でもあります。

精一杯、大切に生きていきたいと思います。

たくさんの心のこもったお悔やみや、励ましのコメントやメールをいただき、ありがとうございます。

あきちゃん、お心遣い、ありがとう。
霊前に供えさせていただきました。

皆さんに支えられて、前を向いていきたいです。

本当にありがとうございました。

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2014
05.08

ありがとう、ありがとう、さよなら。

Category: 家族のこと。
5月1日の未明に父が息をひきとってから、病院で体をきれいにして、着替えさせてもらいました。
葬儀屋さんに連絡し、父を実家まで連れて来てもらいました。
父が母と一緒にリフォームした元仕事場だったところに寝かせました。

そこまで終えると時間は朝の6時を過ぎていました。
わたしは子どもたちの学校の準備もあるし、この日はハーセプチンの予定もあったので、一度自宅に戻ることにしました。
実家から自宅への道を車で走りました。

わたしが今の自宅に住み始めてから10年以上。
父は何度となくこの道を運転してわたしの家にやってきました。
孫であるはぁちゃんやきぃちゃんは暇になると、わたしが気づかないうちに勝手に実家に電話して
「じいちゃん?(遊びに)行っていい?迎えに来て!」
「いいよ~、行くよ~」
って具合でいそいそと迎えに来て連れて行きました。

朝、突然わたしの家のチャイムが鳴って出てみると、父が来ていることも良くありました。
父は近所の畑を借りていて、季節ごとに少しの野菜を作っていました。
「実家ガーデン」とわたしはよんでいましたが、そこで採れた野菜や、親戚から送られてくるお米、そして、はぁちゃんやきぃちゃんのおやつにお菓子や果物、アイスクリームをいっぱい車に積み込んで、いそいそとやって来るのです。

ほんの数か月前まで、そうやって来てくれていたのにな~。

もう来られないんだね。

はぁちゃんやきぃちゃんはじいちゃんがいつでも迎えに来て遊びに行かせてくれると思ってました。
持ってきてくれるおやつを楽しみにしてました。
トマト、きゅうり、おくら、キャベツ、にんじん、ホウレンソウ、小松菜、青梗菜、イチゴ、大根、ジャガイモ、玉ねぎ、長ネギ、なす…数えきれないくらい沢山の父の育てた野菜。いっぱい食べさせてもらいました。

父は木を扱う仕事の職人だったので、ちょっとしたものを木でいろいろ作ってもらいました。
20140508130113555.jpg
画像の左上の踏台は、10年くらい前に、小さいはぁちゃんが洗面台に届かないからと、作ってもらったものです。
だいぶ汚れてしまったけれど、今でもきぃちゃんが使っているし、背の低いわたしも高いところの用事に使っています。

まな板も作ってもらいました。
20140508130115b35.jpg
これは結婚してから二代目のまな板です。
父は木を削るための刃物を研ぐ砥石も使っていて、包丁はいつも研いでもらっていました。

実家にいるころから、わたしの使う包丁はいつもよく切れて、よその家などで使った包丁が自分の家のモノより切れなかったことにとてもびっくりしたことがありました。
父に研いでもらった包丁がどれくらい切れ味良かったかと気づきました。

きぃちゃんに
「電話しても、もうじいちゃんは出ないよ。迎えに来ないよ」と言うと、
「え”、やだ。」と言うきぃちゃん。
あたりまえじゃん。

はぁちゃんに
「もうアイスクリーム買ってきてもらえないよ」と言うと
「あー、そうだ。うん。」とうつむいて答えるはぁちゃん。
少しづつ実感するね。

わたしをきちんと育ててくれてありがとう。
はぁちゃんやきぃちゃんをたくさん可愛がってくれてありがとう。
わたしたち家族の為に、沢山いろんなことをしてくれてありがとう。

おつかれさま。
ゆっくり休んでね。
さようなら。

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2014
05.05

それは5月1日だった。*3

Category: 家族のこと。
続きです。

4月6日の入院以来、日に日に食欲も気力も無くなり、ほぼ寝たきり生活になった父。
わたしや孫のはぁちゃん、きぃちゃんが面会に行くと笑顔を見せたり手を振ったりするけれど、衰弱は否めませんでした。

病院での治療がない中、退院後のことも考えて、介護保険の申請をしました。

4月21日(月)
役所から審査のための面会がありました。
主治医の話では、今の父の状態では、ほとんどベッド上の生活なので、高い介護レベルになるだろうとのことでした。
介護保険審査には1ヵ月くらいかかるだろう、と伝えられました。

4月27日(日)
長女はぁちゃんのピアノの発表会がありました。
終わってから、家族で父の病院へお見舞いへ行きました。
はぁちゃんの発表会の演奏のビデオを見た父は「お~~~!」と感心していたそうです。
わたしはその時買い物に行っていたので見ていませんが。

お見舞いに行くと、父は、いつも唸るような声を出して辛そうではありましたが、「大丈夫」と言っていました。

4月30日(水)
ダンナはお休みで、子ども達は学校から帰って、習い事に行ったり、家でのんびりしたり。
わたしは買い物に行ったり。

夕方、母から「病院に来て」と連絡がありました。
「(父の状態が)なんか、すごく悪くなっている。ずっとうーー、うーー、って唸っている。」と。

長女はぁちゃんの空手の稽古が終わってから家族で父の病院へ行きました。
20時少し前くらいだったと思います。
母の言う通り、間断なく「うーん、うーん、」と唸っていましたが、対応はしっかりしていて、
「しんどいの?どこか痛いの?」と聞くと、
「ううん。痛くない」と答えます。
20時30分くらいに、「じゃあ、帰るね。また明日来るね」というと
「おーー、はいはい」と返事しました。
はぁちゃんが、
「またね」と言うと、「はい、じゃあね」と言って手を振りました。

5月1日(木)
わたしはなかなか眠れず、夜中、久しぶりにブログの更新をして、お風呂に入って、もういい加減寝なきゃ、と思っていた午前3時10分ごろ。電話が鳴った。
母から「病院に来て!!」と。

急いで車を走らせました。夜中なので混んでいることもなく。
病院の前に着いたのが3時30分。

深夜なので、父の病棟の自動扉は閉まっていて、チャイムボタンを押すと「カチャ」っとすぐ施錠が解除された。
病棟に行くと看護師さんがすぐ来て、「こちらです!」と案内してくれました。

前夜にお見舞いに行った大部屋とは違う個室に案内され、入ると、母が、「3時20分だった」と言いました。

・・・間に合わなかった。

どこかで「まだ大丈夫だ」と思いながら来たのだけれど…。

間に合わなかった。


わたしが着いた時、まだ酸素マスクを着けたまま、酸素機器も作動したまま父は眠っていました。

母は、わたしが着くまで、酸素を止めないでと、お願いしたようでした。
「でも、だんだん冷たくなってきっちゃって・・・」と母が言いました。

母はそう言っていましたが、
わたしがさすった父の手は、まだ少し温かく、父はただ眠っているだけのようでした。

見つめていると、喉や胸のあたりなど、大きく呼吸をして動きそうな気さえしました。

けれど、もう、動かないのです。

父は死んだのです。


誰にでも来るその日。
最期の日。
父のその日は、2014年5月1日でした。


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2014
05.04

それは5月1日だった。*2

Category: 家族のこと。
前回の記事の続きです。

父が4月6日に入院して、10日くらいたった後
「主治医の先生の面談がある」と母から知らせがありました。
「じゃあ、都合つけて行くよ」と返事して、わたしも聞くことにしました。

4月18日(金)
18時に主治医のお話を聞くことになっていました。
少し遅れて肝臓内科の先生と話が始まりました。

話の内容は
右手足の動きが鈍いことの原因を調べるため、脳のMRIを撮ろうとしたが、長時間固い機械に仰向けにじっとしていることができず、検査できないとのことで、脳に梗塞があるのか、ガンが脳転移しているのか分からない。

腹水や足の浮腫みは、肝臓や腎臓の機能の低下から起こっているのかもしれないし、ガンのせいかもしれない。
分からないので、腹水を少し採取してがん細胞の有無を検査に出している。

今病院でできることはあまりない。

今の状況を見ると、(右手足の)リハビリをやってみるとか、腹水や浮腫みに効くかもしれない(効かない可能性も高い)高額な薬を追加してみることくらいしか対処がない。

という内容でした。

主治医の先生も、言いにくそうでしたが、今後、どんな対処をしても、普通の生活を送れるような回復はないだろうということをオブラートに包みながら柔らかく言っていました。

親切な優しい先生なんだな、と感じました。

治療が無い以上、長く入院をしたままにはできないという病院の事情もあると思いました。
少し躊躇する気持ちもありましたが、
「ホスピスに入ることはできませんか?」と伺ってみました。

すると、緩和ケアも専門とする主治医は、少し困っていました。

ホスピス病棟は、決して介護施設ではない。
余命の短い人や、痛みや苦痛が激しい時期に入るものです。
ぽめ父の場合は、意識もはっきりしているし、回復の余地もある。
けれど、今のまま食事も満足に摂れない状況で、どんどん衰弱が進むならば、家に帰すことも難しい

と、主治医も判断を苦しんでいるようでした。

母も、自宅介護になるかもしれない不安と、父の急激な衰弱への戸惑いで不安定になっているようで、全身に蕁麻疹がでて、大学病院へ通ったりしていました。

これまで何度も入院するたび、「早く家に帰りたい」と言っていた父が、この入院では「しばらくここ(病院)にいたい」と言ったことは、自分と母への負担を思ってのことだったのかもしれません。



まだ長くなるので、続くにします。長くなってごめんなさい

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2014
05.03

それは5月1日だった。*1

Category: 家族のこと。
前回の記事の「のっぴきならない急な用事」について。

話は少し遡ります。

先月の7日。次女きぃちゃんの入学式。
入学式を終えたその足で、桜がたくさん咲いている公園へ行きました。
そのあと、わたしの父にきぃちゃんのこの姿を見せようと、実家に向かいました。

20140409235624060.jpg

母は仕事に出かけているけれど、父は家にいるはず。
ところが実家には電気もついていなくて、誰もいませんでした。
「せっかく来たのに残念だね~」と言いながら、実家の冷蔵庫から野菜ジュースを一本勝手にもらって帰ってきました。
最近、食事の量がすっかり減った父の為に、母がいつも野菜ジュースを買って飲ませている、と言っていました。

その日の夜、母から電話がありました。
きぃちゃんが初めに受話器を取って、
「ばぁちゃん?今日入学式だったよ。ばぁちゃんちに行ったけど、誰もいなかった。野菜ジュース持ってきちゃったんだよ!」と楽しそうに報告してました。
わたしが電話に出ると、母から父が昨日(4月6日)、入院したと聞きました。

その日、右手がうまく動かない感じが見られ、ちょっとしびれているだけかも、と様子を見ましたが、その後、右の足もうまく力が入らないようになり、脳梗塞を疑った母が病院に連れて行ったとのことでした。
病院では脳梗塞胃がんの脳転移かわからない。ということで、入院して何日かかけ、いろいろ検査しましょうということになったそうです。

以前にも記事に書きましたが、父は昨年の夏、約5年前に手術した胃がんが肝臓、リンパ、腹膜に転移しているのが見つかりました。
その後は頻繁に病院へ通ってはいますが、手術や抗がん剤などの治療はできないので、対処療法的に対応し、検査で状態を見ていくだけでした。

自宅の仕事場の片づけをし、母と2人で、床などの張替えをしたり、カーテンを取り付けたりの作業をしていましたが、それが終わると、父はどんどん元気がなくなっているように見えました。
傾眠傾向が見られ、目を閉じていることが多くなりました。
そのため、「来年の免許更新を機会にやめる」、と言っていた車の運転も、その更新時を待たずにやめることにして、毎日家で過ごしていました。

そしてついに入院になりました。
母は「もしかしたらもう退院はできないかもしれない」と言いました。

数日後、家族でお見舞いに行くとちょうど夕飯が運ばれてきました。
ヨーグルトとかアイスについてくるような小さなスプーンにおかゆを4~5口食べると「もういらない」と。
おかずの焼き鮭や煮物は、はぁちゃん、きぃちゃんの孫シスターズが平らげてしまいました。
足はパンパンに浮腫んで、腹水もパンパンに溜まっていて、普通に歩くこともできない状態でした。
衰弱しているのは目に見えて感じられました。

それからは、日曜日とか子ども達の習い事や用事のない日にお見舞いに行きました。
母は仕事や家のことを終えると、毎日病院へ行っていたようです。
食事介助しながら食べさせても、相変わらず少ししか食べず、それでも母が食べさせようとすると
「いらないよっ!!」と怒り出す始末。
腹水がたまっているので栄養補給の点滴も中止になっていた為、食事をとらなければ弱る一方です。
腹水は抜いてもらえないのか?と聞くと、その腹水にもタンパク質などが溶けているので、それも一緒に抜いてしまうことになるため抜くのも得策ではないとのことでした。

ついこのあいだまでゆっくりながらも自分で動けていたようなのに、もう歩くことも、自分で車いすに座ることも出来なくなっていました。

それを見ながら、なんの手立てもないことが、もどかしく感じられました。



長くなりそうなので、続きはまた次回に。


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2014
05.01

ハーセプチン単独11回目・・・は延期。

今日はハーセプチン単独11回目(通算15回目)を受けて、乳腺外科の主治医の診察の予定でした。

でも、急な用事が入り、早く帰ってこなければならない状況になりまして。
いつも激混みの腫瘍内科&ケモ室。

あきらめました。

予約を取り直そうと、朝クリニックに電話してみましたが、ハーセプチンは変更可能だったのですが、乳腺外科の診察が、都合のよい時間に変更ができない。
それに、ホルモン剤の処方もしてもらわないといけないので、仕方なく、乳腺外科の受診だけの為に今日クリニックへ行くことになっちゃいました。

どうせならハーセプチンもやりたかったのですが、
「(ハーセプチンの待ち時間だけで、)2時間以上はかかります」の看護師さんの言葉に撃沈。
ハーセプチンのみ延期ということになりました。

わたしが今日は急いでいたので、
Dr.:「特に変わりないでしょ?じゃあ、お薬処方していいですね~」と、
あっさり主治医のサバサバ診察はいつもにも増してさらっと終わりました。

でも、会計と薬局で予想以上に待ち時間が長くて、「急な用事」にギリギリ。
ゴールデンウィークの影響かな~

今日、ハーセプチンの延期の理由となった、のっぴきならない「急な用事」のことについては、次回、少し整理して書こうと思います。

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2014
05.01

術後8ヵ月~死神くんに会うまで

バタバタぼやぼやしていたらブログの更新がすっかり滞ってしまいました

いつの間にやらゴールデンウィーク。
そして気づけば術後8ヵ月。

8ヵ月も経つと、手術の記憶も薄らぼんやりしてきて、全体的にもうすっかり普通。
普通が一番。
ありがたいことです。

先日、嵐好きのムスメが録画していた大野智主演のドラマ「死神くん」をなんとなく一緒に見ていました。
大野くんは死神役です。
高校生の女の子の目の前に現れ、あと3日の命であると告げます。

女の子の
「どうしてわたしなの?!」の言葉に、
「運命に理由はありません」と答えます。

そう。
運命に理由はない。
わたしは乳がんに罹りました。
どうしてわたしが?・・・理由はありません。それが運命なのだから。

でも、運命に理由はなくても、運命に意味を持たせることはできると思うのです。
その運命を受け止めて、向き合うことによって。

一年前、化学療法真っ盛りのハゲ散らかした頭で旅行に行ったわたし。
普通に旅行に行って普通に温泉に入るってことが、幸せなことなんだな~としみじみ思った。
ちっちゃなことや大きなこと、病気になっていろんなことに気づくことが出来ました。
だから、術後8ヵ月経って、もうすっかり普通っぽい今の日常も病気を経験する前の「普通」とは違った意味を持っている。

大野死神くんは言っていました。
「人間皆いずれは死ぬんです。結婚を人生のゴールだという人もいますが、死こそが人生のゴールです」
結婚はしない人もいるし、結婚した後も人生は続くのだし。
死こそが人生のゴール。なるほど。そうかもしれないな~。

死神くんがやってくるまでの間どう生きるかによって、そのゴールの景色は違って見えるのだろうと思うのです。


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