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2013
04.21

生きるということ。死ぬということ。*2

Category: 家族のこと。
妹は先天性の心臓病でした。

でも、それがわかったのは、妹が幼稚園の時、運動会の練習中に倒れて病院に運ばれた時でした。

それから、都内の大きな大学病院で、入院手術、治療をしたのですが・・・
わたしは当時、小学一年生で、断片的な記憶しかありません。

妹が入院している間、当時は付き添いが可能だったようで、母はずっと病院に泊まり込んでいました。
その間、東北から父方、母方、双方の祖母が交代でやってきて、わたしや父の世話をしてくれたり、お友達のおうちに泊めてもらったり、ご近所のお友達のお母さんが遠足のお弁当をつくってくれたり・・・

とてもいろんな人に助けてもらいました。

妹の病気のことは、まだ小さなわたしには理解できなかったと思うし、くわしく聞くことはありませんでした。
心臓が悪くて、手術で心臓を助ける機械を体に入れたこと。
通院は長く続き、薬もずっと飲まなければならないこと。
激しい運動はさせてはいけないこと・・・・などを言って聞かされされました。


それから、我が家では、妹の病気は一緒に暮らしてるみたいなものでした。
365日、毎朝晩、数種類の薬をのむ。妹がちょっと走り始めると「走っちゃだめだよ~」と声をかける。
母と妹は定期的に電車に乗って一日がかりで病院へ検査、診察を受けに行く・・・
妹は度々発作を起こし、救急車で運ばれることもありました。


そんな生活も10年続き、これからもこうして続くんだろうと自然に生活していたある日、突然、妹は亡くなりました。
その日は高校合格して、気楽になったわたしは、友達と映画を見に行って、夕飯を食べて、帰宅しました。
「ただいま~」といつものように家の玄関を開けると、びっくりするほどたくさんの靴が並んでいました。
なんとなくお線香の香りがしました・・・。



妹は、たった13年で逝ってしましました。

両親の憔悴振りは、わたしから見ても痛々しいものでした。
わたしも妹を思い出しては、声を殺して泣きました。

けんかも随分したし、意地悪もしました。からだの弱い妹を何度も足でまといだと思ったこともありました。
たくさんの後悔が湧いてきて、もう会えない、もう何もしてあげられない、話すことも、声を聞くこともできない。やるせない想いでいっぱいでした。


それでも、わたし達家族は、毎日生きていました。
妹がいなくなっても、わたしは中学を卒業し、高校に入学し、両親も仕事をし、しだいに普段の生活に戻りました。

人間は忘れる生き物です。
年月が経つにつれ、妹を思い出しても涙は出なくなりました。

そのことに罪悪感を感じることもありました。
こんなわたしを妹はどう思うだろうと。

そんな時、こんなエピソードを本で読みました。
「子どもがお母さんに、ねぇ、人は死んだらどうなるの?と聞くと、死んだら終いや。死んだらそれで終い、おしまい。と答えていた」という話です。

なんだか随分ドライな話のようですが、わたしの中にその話はストンとはまった感じがしました。

死んだらそれでおしまいなんだな~って。
死んだ人が空から見てるなんて、今のわたしをどう思ってるかなんて、そんなのないんだな~って。

わたしは、今、生きている。

それは、妹が生きられなかった未来です。

わたしは、13年で死んだ妹を思うとき、
わたしの今の人生が、なにかおまけのように感じるのです。

生きてるだけで儲けもの。みたいなことでしょうか。

死んだら、おしまい。
だけど、妹がいた事、彼女が病気と共存し、生きたこと、それは間違いなく、わたしの中にあって、
わたしの存在、感情、思考の一部になって今も存在していると思うのです。

人は誰でも、いつか必ず死にます。
いつなのか、それは運命が決めること。神のみぞ知る。ですね。

死んだらおしまいならば、それまで、できることは精一杯やろう。

そう思うようになりました。


こんな風に書いているけれど、いざ実際に死を目の前にしたら所構わず、わぁわぁ泣いちゃうかもしれないし、死にたくないっていじけるかもしれません。
ダンナや娘たちのことや両親のことを思うと、切なくなることもあります。

でも、きっと、わたしが死んでも地球は回る。


わたしは死んだらおしまいだけど、わたしの精一杯は、生き続ける。
妹が生きた日々が、わたしの中に生きてるように。

だから、今は、がんばりたいと思うのですo(^o^)o

わたしの精一杯で。


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コメント
はじめまして。
「いきるということ、死ぬということ」、歳をとった私でも難題です。
でも今は頑張りたいという気持ちは大切だと思います。でないと生きている意味がないような気がします。
シニアiwamidot 2013.04.21 17:06 | 編集
シニアiwamiさんへ

ご訪問、コメント、ありがとうございます。

答えはないかもしれないし、ひとつではないのだろうとも思います。

これからも問いながら、
がんばりたいと、思います。

ぽめdot 2013.04.21 22:09 | 編集
私はあまり言葉の使い方が上手じゃないので、言葉が見つからなかったのですが、、、
病気が発覚してから、私はネット上の皆さんのた~くさんの言葉を読んできました。そして、最後の最後にぽめさんの日記に出逢いました!
コメントなるものも初めてやりました。

ぽめさんに贈る言葉は「感謝」です。


いつかお会いしたいですね♪

PTA大変じゃないですか?無理しないで下さ~い(^-^ゞ
しゃけははdot 2013.04.22 13:30 | 編集
しゃけははさんへ

手探りで始めた、たどたどしいブログに訪問してくれて、初めてのコメントをくれて、こうして励まし合えることに、わたしの方こそとてもとても感謝しています。

とても力づけられています。

もう化学療法は始まったのでしょうか?
がんばりましょうね(*^_^*)

PTA、なんだかジタバタしながらなんとかやってます~(^_^;)

ホント、会えるといいね。









ぽめdot 2013.04.22 22:42 | 編集
このコメントは管理人のみ閲覧できます
dot 2013.04.25 00:01 | 編集
鍵コメYさんへ

こんばんは!
コメントありがとうございます(^O^)

そうですね。自分自身の病気より、家族が病気になる方が辛い。
もし自分のムスメが、と思ったらたまらないですね。

そう考えると、わたしの両親の辛さはどれほどか、と思ってしまいます。

鍵コメさんが家族を思う気持ち、家族のために闘病をがんばる気持ち、伝わってきます。
わたしもがんばろうと、思います。

ありがとう☆

ぽめdot 2013.04.25 01:15 | 編集
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